母が施設で生活するようになって変わったことがある。
それは誰とでも挨拶代わりにハグをするようになったことだ。
これはたぶん施設の中のスタッフさんが日常茶飯事
母たちとのスキンシップで行っているからなのだろう。
ヒロさんが言った。
夏、お盆で実家に帰った母にヒロさんが声をかけたら
「あら、ヒロさぁん、おすぱらぐぅ(しばらく)」と言って
母は突然ヒロさんにハグをしたそうだ。
「〇〇ちゃん(わたし)、おれは涙が出だったぁ。」と
また少し涙ぐみながらヒロさんはわたしに話してくれた。
震災が起きてからというもの
弟が一人で住んでいる実家のいろいろな世話を
ヒロさんがやってくれている。
本当にありがたいことで頭の下がる思いだ。
だから顔を合わせる際は必ずお礼を言っているのだが
ヒロさんはいつもそっけなくこう言う。
「なぁに困ったぁどぎは、おだげーさま(お互い様)だが。」
恩着せがましいそぶりなどまったく無く
ただ「あだりめー」(あたりまえ)の事をしただけという感じで
全く持ってそっけないもんだ。
それで改めてこのヒロさんの言う「おだげーさま」という言葉を
ちょっと考えてみたんだ。
何でこうもヒロさんはうちの実家を気にかけてくれるのか。
考えてるうちに、ハッと昔の記憶がよみがえった。
ヒロさんは30代の若さにして未亡人になったのだ。
ご主人を海で亡くした。
そしてそのご主人を探して海から引き上げたのが父だった。
更に亡くなった時期が運悪く若布の養殖を取る時期をひかえていた最中
当然一家の大黒柱を失ったヒロさんの家ではどうすることもできず
村の者たちが総出で自分の家の養殖仕事をする前に
ヒロさんの家の若布仕事を全て終わらせてから始めたのだった。
当然小学生のわたしらも借り出されて手伝ったんだ。
わたしよりひとつ下のヒロさんの娘Mちゃんに
お父さんを亡くしたばかりで、どう、何を話しかければよいのかもわからず
背中を丸っこくして若布の茎切りをしているMちゃんの背中を
ただただ後ろから見ていたのを思い出した。
30代の若さで伴侶を亡くし幼い3人の子供を育て姑の世話もしながら
大変苦労されただろう。
そしてそんなヒロさんを隣に住んでいた母が放っておくはずがない。
多分子供のわたしらが気づかないところで
一生懸命ヒロさんをたすけていたのだろう。
あの母ならきっとそうするはずだ。
自分は二の次でまず他人を気遣う人だったから。
子供のわたしでもわかるほど、バカにお人好しな人だったから。
だから
悔しいのはなんでそんな善人がこんな病気になってしまったのか・・・だけど。
でもお母さん
お母さんがやってきたことは決して無駄ではなかったね。
「困ったどぎは、おだげーさま。」がちゃんと返ってきてるよ。
お母さんのいないところで
ちゃんと。
ヒロさん、いつもいつもありがとうございます。
それは誰とでも挨拶代わりにハグをするようになったことだ。
これはたぶん施設の中のスタッフさんが日常茶飯事
母たちとのスキンシップで行っているからなのだろう。
ヒロさんが言った。
夏、お盆で実家に帰った母にヒロさんが声をかけたら
「あら、ヒロさぁん、おすぱらぐぅ(しばらく)」と言って
母は突然ヒロさんにハグをしたそうだ。
「〇〇ちゃん(わたし)、おれは涙が出だったぁ。」と
また少し涙ぐみながらヒロさんはわたしに話してくれた。
震災が起きてからというもの
弟が一人で住んでいる実家のいろいろな世話を
ヒロさんがやってくれている。
本当にありがたいことで頭の下がる思いだ。
だから顔を合わせる際は必ずお礼を言っているのだが
ヒロさんはいつもそっけなくこう言う。
「なぁに困ったぁどぎは、おだげーさま(お互い様)だが。」
恩着せがましいそぶりなどまったく無く
ただ「あだりめー」(あたりまえ)の事をしただけという感じで
全く持ってそっけないもんだ。
それで改めてこのヒロさんの言う「おだげーさま」という言葉を
ちょっと考えてみたんだ。
何でこうもヒロさんはうちの実家を気にかけてくれるのか。
考えてるうちに、ハッと昔の記憶がよみがえった。
ヒロさんは30代の若さにして未亡人になったのだ。
ご主人を海で亡くした。
そしてそのご主人を探して海から引き上げたのが父だった。
更に亡くなった時期が運悪く若布の養殖を取る時期をひかえていた最中
当然一家の大黒柱を失ったヒロさんの家ではどうすることもできず
村の者たちが総出で自分の家の養殖仕事をする前に
ヒロさんの家の若布仕事を全て終わらせてから始めたのだった。
当然小学生のわたしらも借り出されて手伝ったんだ。
わたしよりひとつ下のヒロさんの娘Mちゃんに
お父さんを亡くしたばかりで、どう、何を話しかければよいのかもわからず
背中を丸っこくして若布の茎切りをしているMちゃんの背中を
ただただ後ろから見ていたのを思い出した。
30代の若さで伴侶を亡くし幼い3人の子供を育て姑の世話もしながら
大変苦労されただろう。
そしてそんなヒロさんを隣に住んでいた母が放っておくはずがない。
多分子供のわたしらが気づかないところで
一生懸命ヒロさんをたすけていたのだろう。
あの母ならきっとそうするはずだ。
自分は二の次でまず他人を気遣う人だったから。
子供のわたしでもわかるほど、バカにお人好しな人だったから。
だから
悔しいのはなんでそんな善人がこんな病気になってしまったのか・・・だけど。
でもお母さん
お母さんがやってきたことは決して無駄ではなかったね。
「困ったどぎは、おだげーさま。」がちゃんと返ってきてるよ。
お母さんのいないところで
ちゃんと。
ヒロさん、いつもいつもありがとうございます。
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by minmei316
| 2013-10-17 14:50
| 実家(宮古)