船おろし
2012年 12月 11日
12月9日 大安
弟が舵を取る、弟の船が、村の漁港に入ってきた。
船おろしの話を聞いて沢山の人も駆けつけ、
父の名前の入った「勇漁丸」という大漁旗を羽ばたかせ、弟が漁港へ入ってきた。
妹からメールが届きました。
****************************************
姉ちゃんへ
こんばんは!
初めて船おろしを見ました。
思わず涙が出てしまいました。
沢山の人がお祝いに駆け付けてくれて…とても感動しました。
大漁旗も風になびきかっこよがったぁ~。
姉妹一同の「姉妹」は大漁旗にはないそうだ。
どうしても「兄弟」になるんだって。
まあ、ひとまず安心。
ビデオも撮ったから後でおくるね。
母さんも一生懸命手伝ってました。
みんなに沢山手伝ってもらい助かりました。
予想以上に沢山きたので…
30人近く来たのかな~。
善は「わげえもんが15人ぐれぇがなぁ」
って言ってだったあけどね、
〇さんも〇やん、〇さん、〇っさん、〇っさんもきて
最後の方まで飲んでだったぁ~。
みんなが気にかけてくれで、感謝感謝。
相変わらず〇ボは泣いったっけ。
まあず、涙もろいんだぁね。
ヒロさんも私がくる前にもう掃除もしてけでで、
最後の方までてずだってもらったぁ。
いやぁ、よい1日でした。
******************************************
震災後、船を奪われ、加工場も奪われ、そして家族も奪われ
ひとりになってしまった弟に今までのような昆布や若布の養殖業が
できるはずもなく、また、無理にでもしがみついて続けるという
必要もなくなってしまったわけで、
ならば、ひとりでできる仕事と言えば残るは「釣り船」
じつは以前から養殖業をするかたわら釣り船も少ししていた。
ありがたいことに、その頃の顧客が今でも復帰を待ってくれているとか。
父の代からそのまま引き継いだ「勇漁丸」
父も新しい船が出来るのを楽しみにしていたのに
完成を見ることも叶わず逝ってしまった。
だけど多分この写真の中のそこいら辺できっと喜んでいるに違いない。
出来た船は隣町の山田港に下ろし
そこから40分ぐらいかけてみんなの待つ村の漁港へ入ってきた。
ようやく自分の船を手に入れ
自分のおもむくままに自由にあの海原を走ってきただろう。
これが津波の後すぐにでもできていたらば
海であの子らを探すこともできたのに・・・
どんな思いであの海原を走ってきたのか
考えるそばから目頭が熱くなって涙が溢れてくるけれど
そんな風に思っているのは周りの人間だけで
案外本人は沖に向かって
「お~~い!見ったぁが~?父さん頑張っけ~なぁ~」なんて
言っていたかもしれないな。
予想外に人が集まってくれたそうだ。
弟の友達のほかにも、父の知り合いとか
家は相変わらずヒロさんが掃除をしてくれたみたいだし
普段でも近所の人たちが、晩ご飯のおかずを作って持ってきてくれるとか
それもこれも、たぶん父の人脈によるものだと思う。
父が今までしてきたことが、今、返ってきてるのかもしれない。
やはり父もか、死んでも尚且つ現役で手伝ってくれている。
そんな気がした。
感謝感謝、みんなに感謝だ。
弟よ、それを忘れずに生きていってくれ。
ということで
釣りをするなら
岩手県宮古市重茂
勇漁丸を
どうぞよろしくお願いします!!
お問い合わせはこちらのブログまで!!
弟が舵を取る、弟の船が、村の漁港に入ってきた。
船おろしの話を聞いて沢山の人も駆けつけ、
父の名前の入った「勇漁丸」という大漁旗を羽ばたかせ、弟が漁港へ入ってきた。
妹からメールが届きました。
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姉ちゃんへ
こんばんは!
初めて船おろしを見ました。
思わず涙が出てしまいました。
沢山の人がお祝いに駆け付けてくれて…とても感動しました。
大漁旗も風になびきかっこよがったぁ~。
姉妹一同の「姉妹」は大漁旗にはないそうだ。
どうしても「兄弟」になるんだって。
まあ、ひとまず安心。
ビデオも撮ったから後でおくるね。
母さんも一生懸命手伝ってました。
みんなに沢山手伝ってもらい助かりました。
予想以上に沢山きたので…
30人近く来たのかな~。
善は「わげえもんが15人ぐれぇがなぁ」
って言ってだったあけどね、
〇さんも〇やん、〇さん、〇っさん、〇っさんもきて
最後の方まで飲んでだったぁ~。
みんなが気にかけてくれで、感謝感謝。
相変わらず〇ボは泣いったっけ。
まあず、涙もろいんだぁね。
ヒロさんも私がくる前にもう掃除もしてけでで、
最後の方までてずだってもらったぁ。
いやぁ、よい1日でした。
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震災後、船を奪われ、加工場も奪われ、そして家族も奪われ
ひとりになってしまった弟に今までのような昆布や若布の養殖業が
できるはずもなく、また、無理にでもしがみついて続けるという
必要もなくなってしまったわけで、
ならば、ひとりでできる仕事と言えば残るは「釣り船」
じつは以前から養殖業をするかたわら釣り船も少ししていた。
ありがたいことに、その頃の顧客が今でも復帰を待ってくれているとか。
父の代からそのまま引き継いだ「勇漁丸」
父も新しい船が出来るのを楽しみにしていたのに
完成を見ることも叶わず逝ってしまった。
だけど多分この写真の中のそこいら辺できっと喜んでいるに違いない。
出来た船は隣町の山田港に下ろし
そこから40分ぐらいかけてみんなの待つ村の漁港へ入ってきた。
ようやく自分の船を手に入れ
自分のおもむくままに自由にあの海原を走ってきただろう。
これが津波の後すぐにでもできていたらば
海であの子らを探すこともできたのに・・・
どんな思いであの海原を走ってきたのか
考えるそばから目頭が熱くなって涙が溢れてくるけれど
そんな風に思っているのは周りの人間だけで
案外本人は沖に向かって
「お~~い!見ったぁが~?父さん頑張っけ~なぁ~」なんて
言っていたかもしれないな。
予想外に人が集まってくれたそうだ。
弟の友達のほかにも、父の知り合いとか
家は相変わらずヒロさんが掃除をしてくれたみたいだし
普段でも近所の人たちが、晩ご飯のおかずを作って持ってきてくれるとか
それもこれも、たぶん父の人脈によるものだと思う。
父が今までしてきたことが、今、返ってきてるのかもしれない。
やはり父もか、死んでも尚且つ現役で手伝ってくれている。
そんな気がした。
感謝感謝、みんなに感謝だ。
弟よ、それを忘れずに生きていってくれ。
ということで
釣りをするなら
岩手県宮古市重茂
勇漁丸を
どうぞよろしくお願いします!!
お問い合わせはこちらのブログまで!!
by minmei316
| 2012-12-11 16:29
| 実家(宮古)