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   こんにちは!          今日もいい塩梅ですか?


by minmei

永遠の0

わたしは「永遠の0ゼロ」を読んで泣いた
泣けて泣けてしょうがなかった
仕舞いにはティッシュをもってきて鼻までかむぐらい泣いた

この本が、まさに今わたしのところに舞い込んできた、このタイミング
偶然か必然か・・・

永遠の0
ゼロとは、いったいなんぞや?
ゼロとは零式戦闘機、ゼロ戦の事だった
舞台は太平洋戦争
本当の祖父はこのゼロ戦の優秀な熟練操縦士だった・・・
祖母が死んだ時、祖父は言った
「実はお前達の本当のお爺さんは戦争で亡くなっているんだよ」と・・・
ジャーナリストの端くれだった姉と僕は
本当の祖父がどのようにして一生を終えたか興味が湧いた
そして調べていくうちに、祖父の悲しくせつない一生を知っていく事になる
戦争という非日常的、異常なまでの世の中のあり方
内地で待つ妻と生まれたばかりの娘のために
殴られても蹴られても、わたしは死にたくない、生きて帰るのだ。といい続けた
祖父を知る人たちに話を聞いていくうちに疑問がいくつか湧いてくる
そんな祖父は何故飛行操縦士を志願したのか
政府は負けるとわかりきっていたにもかかわらず、残ってさえいれば世のためになる
大学生までも引っ張り出して、ほぼ強制的に飛行操縦として叩き込む。しかも1年足らずの期間
そしてそれは、空戦の為ではなく、爆弾を抱えて敵地に突っ込むための操縦
将来ある若い者たちを、そうして鉄砲玉のように、死ねといって戦地へ送り込む
熟練操縦士となった祖父は、その学生たちにどれだけ複雑な思いで操縦を訓練させていたか
そして、最後。あれほどまでに死なないと言い続けた祖父は
何故自ら特攻を志願し死を選んだのか・・・
その真実を知ってしまったとき
涙が溢れて止まらなかった・・・




わたしにも当然祖父がいた
いたけども、会ったことはない
子供の頃、ただ戦死したとだけしか聞かされていなかった
そしてそのまま、祖父を知ろうとも思わず
例えばドラマや映画を観ても祖父に対しての感情移入のようなものはまず無く
ただ軍服を着た修正のたっぷり施された、これが本当の顔かどうかもわからないような
妙に立派で男前な写真に向かって年に一度お盆に手を合わせるだけだった

ところ震災後
あることをきっかけに
今まで祖父の事を一度も考えてやれなかった自分を悔やんだ



事の発端は位牌だった
今回の震災で実家では4人が亡くなった
地方によってやり方は異なるのだろうけど
実家の位牌には先祖代々の戒名の書かれた札のようなものが何枚も位牌の中に入っている
しかしとうとう今回の震災で位牌には4人分が入りきらなくなったのだ
それで、今回新たに札ではなく帳面のようなものに記入され
それを位牌の中に仕舞うというやり方に変わった
そして新しく変わった先祖代々の戒名の書かれたその帳面を改めて見てみたら
思いがけぬショックなことが記されていたことに気づいた
戒名を見ただけでは誰が誰なのかサッパリわからないが
その戒名の横に享年何歳かが記されていて、それを見て愕然とした
小さい兄弟と思われる子供達が4人並んで記されていた
しかも末っ子が4歳の女の子で上の3人は男の子
同じ日に亡くなっていた
その日は昭和8年3月3日、三陸大津波が押し寄せた日であった
それだけではない
その日、母親もまた亡くなっていたのだ・・・
何という偶然だろうか・・・
それと同時に
こんな過去の大事なことを何故家のものは誰も知らなかったのかと
わたしは腹立たしくなった
父に聞いたらば知らなかったのだ
そして当然母も知るはずも無い
それならば今は亡き祖母はどうだったのだろう・・・・
祖父は祖母に話していなかったのだろうか・・・
自分の兄弟と母親を津波で失っていたことを・・・
祖父は祖父の父親と、そして兄弟の中で唯一たった一人生き残った人だったのだ
知らなかった・・・
わたしは祖父の事を何も知らずにいたことを凄く悔やんだ
そして祖父は30代の若さで戦死した
なんという悲惨な人生を送っていたのだろう
お国のために立派に死んでいったなんて誰が言うか
そんな時代に生まれた祖父を哀れんだ

そしてそこへ、「永遠の0」が舞い込んできた
読んでいくと、どうもその主人公の祖父とわたしの祖父との年代が同じぐらいとわかった
当然、重なった
戦争という異常な世界の中で
どれが正しくてどれが正しくないのか
洗脳されたかされないか
真珠湾攻撃の本当の真相
太平洋戦争がどのように行われたか
ほんの一部のお偉いさんの、訳のわからない見栄なのか意地なのかの為だけに
大嘘をついてお国のためといい
沢山の兵士が死ねと言われて鉄砲玉のようにどんどん戦地に送られ
犠牲になった
犠牲になった
犠牲になった
何が国の為、屁でもねー糞食らえ!
多くの人は犠牲になったんだよ

わたしの父は昭和16年生まれ、そしてその妹の叔母は19年生まれ
ということは察するに祖父は早くても18年頃に赤紙をもらったのだろう
早くてもだ。もしかしたらもう少し後だったのかもしれない
祖父もまた、負け戦とわかりつつ鉄砲玉として招集がかかった
一人の犠牲者だ

どんな思いをして家族と別れたのだろう
どんな思いで戦地へ向かったのだろう
そして最後は、何を思ったのだろうか・・・





おじいさん、わたしのおじいさん
今まで気づいてやれなくてごめんね
by minmei316 | 2011-09-06 19:39 |